京セラドーム大阪 フィールドシートでサインをGet ~キューバ代表編~
キューバの野球に興味を持ったものの2009年の第2回WBCはテレビ観戦。
その後2012年には侍ジャパンマッチ2012「日本代表vsキューバ代表」でキューバ代表チームが来日したが、福岡Yahoo!JAPANドームでの試合も札幌ドームでの試合も観戦に行けずテレビで観戦するしかなかった。
ようやくキューバ代表チームを生観戦できたのは2013年。
第3回WBCに臨むキューバ代表チームは2013年2月27日に京セラドーム大阪で阪神タイガースと強化試合を行なった。
あのキューバ代表が大阪にやって来る。
筆者の野球好きは、自分がプレーすること、試合を観戦すること、そしてサインを収集すること。
何とか彼らのサインをGetできないものか…。
なにしろ、こんなにキューバ代表の選手たちに接近できる機会などめったにあるものではない。
19時プレーボルなら仕事帰りに駆け付ければ間に合う。
京セラドーム大阪にはグラウンドと客席の間にネットがないフィールドレベルのシートがある。
2019年現在は大商大シート、この時はアヴァンスシートの名称。
選手にサインをリクエストするならここが1番応じてもらえる可能性が高い。
無事にチケットを確保。

スタジアム内に入場すると今まさにキューバ代表チームが試合前の練習をしている。
フィールドレベルで、間近でキューバ代表の選手たちを見て大興奮。
この際とにかく選手たちに自分たちの存在に気付いてもらわなければ…。

試合前の練習を終えた選手たちがダッグアウトの方へ引き上げていく…。
妻が作ってくれたバナーに選手たちが気付いてくれた。
Yulieski Gourriel ユリエスキ・グリエル選手(現ヒューストン・アストロズ)
この2013年当時のキューバ代表の1番のスター選手。やはり日本でも有名だったようで、周りにいた日本人のなかでもグリエル選手目当てのファンが多かったように思う。
まず私たち家族の元へ笑顔で歩み寄り、当時まだ3歳だった次男坊のほっぺたを触った後、にこやかにサインのリクエストに応じてくれた。
2004年のアテネオリンピックの代表をはじめ数々の国際大会でキューバ代表に。2014年には横浜DeNAベイスターズでもプレーした。
その後のゴタゴタで日本の野球ファンにはあまり良い印象は残っていないかもしれないが…(笑)。
2016年に亡命後MLBヒューストン・アストロズでプレーしている。

その後も次々に他の選手達もサインのリクエストに応じてくれた。
正直、キューバ代表の選手はもしかするとサインなど書かないかもしれないと思っていたので嬉しい驚きだった。
Frederich Cepeda フレデリック・セペダ
キューバから日本のプロ野球NPBに派遣された初の選手。
この時はキューバの選手が翌年2014年から日本のプロ野球NPBに派遣されて来るとは想像もしていなかった。
読売ジャイアンツではその打棒を披露することは出来なかったが、今なおキューバ代表に必ずと言っていいほど名を連ねるキューバ野球の至宝の一人。この試合では2点タイムリー。

Ismel Jimenez イスメル・ヒメネス
この時のキューバ代表のエース格の投手。
2019年4月 引退を表明。
2015年カナディアン・アメリカン・リーグのケベック・キャピタルズでプレーした際の右腕の故障を抱えながら、その年キューバ帰国後もプレー。
残念ながらその故障(上腕の骨折)の後遺症からの完全復活は叶わなかった。
キューバでの12年間のキャリアで131勝56敗。
通算勝率はキューバ野球史上2位にランクされる。

Yadier Pedroso ヤディエル・ペドロソ
2006年の第1回WBCのキューバ代表に僅か19歳で選出されてから数々の国際試合で活躍。
しかし2013年の第3回WBC大会終了後、26歳の若さで交通事故のため帰らぬ人となった。
このサインボールを見ると当時のショックを思い出す。

Alexander Rodriguez アレクサンデル・ロドリゲス
WBCに選出されたのは2013年のみなので貴重なサインボール。

試合前に思いの外たくさんのサインをGetできた興奮で、試合内容があまり記憶に残っていない…。
キューバ代表 3-2 阪神タイガース
これでは本末転倒のような気もするが、ここに紹介したサインボールを見ると今でもキューバ代表の選手たちがフィールドに姿を現した時の興奮が甦る…。
2006年のWBCをきっかけに興味を持ち始めたキューバの野球…。
ほんの僅かなふれ合いではあったが、アマチュア野球最強チーム「赤い軍団」に少し近づけたような気がした…。